【台湾有事】金門島はなぜ福建省なの?台湾と中国のはざまで揺れ続けた“国境の島”の謎!現地へ視察!

旅行に関する体験

金門島は、地図を見ればすぐに気づくように、台湾本島から遠く離れ、中国本土の厦門市のすぐ目前にあります。最短距離はおよそ3キロ程しか離れていません。

それにもかかわらず、金門島は現在、台湾(中華民国)が実効支配しているのに行政区分としては「福建省」に属しています。

なぜ金門島は「福建省」なのか?なぜ「中国の隣にあるのに台湾側に残った」のか?気になりますよね?

その背景を、実際に訪問して見えてきた実態をわかりやすく解説します!

スポンサーリンク

金門島はそもそも「福建文化圏」の島

金門島の成り立ちを理解するうえで欠かせないのが、この島がもともと福建地方の文化圏に属していたという事実です。

島で話される言語は福建南部と同じ閩南語であり、住民の姓や信仰、建築様式や食文化に至るまで、すべてが福建の風土そのものと深く結びついています。行政制度の面でも、明や清といった王朝の時代から金門島はずっと福建省の一部として扱われ続けてきました。

つまり、「金門は福建省である」という認識は現代に突然現れたものではなく、数百年という歴史によって培われたものです。島に息づく雰囲気も、台湾よりむしろ福建本土に近い独特の色合いを帯びています。

スポンサーリンク

なぜ福建省金門県を台湾が統治しているの?

その金門島がなぜ今日、台湾政府によって統治されているのか。この疑問は、二十世紀半ばに起きた国共内戦、つまり国民党と共産党の戦いにあります。

1. 国共内戦で台湾側が金門を守りきった

1949年、国民党(中華民国)と共産党(中国)による内戦が終盤に差し掛かった時、共産党軍は金門へ進攻しました。

しかし 1949年10月、共産党軍は金門島に上陸を試みますが、金門に残っていた国民党軍が強力に抵抗し、撃退に成功します。

これが有名な 「古寧頭戦役(こねいとうせんえき)」 。この戦役で国民党軍が勝利し、金門は台湾側に残りました。

この戦いが分岐点で、ここで負けていたら金門は確実に中国側になっていましたのです。

2. 台湾にとって金門は「防衛の最前線」だった

1950〜1970年代、金門島は台湾の「反共最前線」とされ、軍事上極めて重要視されていました。

中国本土までわずか数km
台湾本島までは200km以上

つまり、地理的には圧倒的に中国に近いものの、軍事的には台湾側が強固に保持し続けたのです。

当時は金門全体が軍事基地のような状態で、一般住民は厳しい統制下に置かれていました。

圧倒的に中国の方が近いにもかかわらず、台湾は「絶対に手放さない島」として強力に守りました。

3. アメリカの支援で中国は本格侵攻できなかった

1958年には中国軍が金門島を大規模に砲撃する「八二三砲戦」が発生。

台湾側はアメリカから補給支援を受け、金門を死守しました。
この出来事が、金門が台湾側に固定される要因の一つとなります。アメリカとの衝突を避けるため、大規模上陸作戦はできなかったのです。

こうして金門の支配は台湾側で固定されていきます。

4. 行政上も「福建省金門県」を維持した

1950年代〜冷戦期、台湾はアメリカの同盟国であり、中国はアメリカと敵対する立場にありました。

もし中国が金門島に上陸作戦を行えば、アメリカと直接衝突する可能性がありました。

そのため、中国は砲撃は行うものの、決定的な上陸侵攻には踏み切れず心理戦が続いたのです。

特に印象的なのは、金門島には、中国本土との緊張が続いた時代を象徴する「心理戦スピーカー」という独特の歴史があります。

島の海岸には巨大なスピーカーが並び、わずか数キロ先にある中国本土へ向けて宣伝放送が行われ、台湾側は、自由で豊かな生活を強調する内容を流し、人民解放軍の兵士に投降を促すような心理的揺さぶりを仕掛けたのです。

特に印象的だったのは、テレサ・テンの歌声。彼女の優しい声は、政治的メッセージよりも強い感情的影響を与え、中国兵に郷愁や憧れを抱かせる力があるとされ、心理戦の象徴として知られています。

一方の中国側もスピーカーを設置し、台湾政府への批判や革命歌、社会主義の正当性を訴える放送を絶えず流して応戦した。海峡の上では互いの放送がぶつかり合い、時には音量を競うようにして相手の声をかき消す“音の戦争”が続いたのです。

結果として、
1.台湾(中華民国)が金門を実効支配したまま
2.中国は手を出しづらい状況が続き
3.支配はそのまま“固定”された
という状態が長期化したのです。

行政上は今も「福建省金門県」という区分が残る

台湾は大陸を失った後も、行政区分を大きく変更しませんでした。

そのため現在も金門島と馬祖列島は、中華民国「福建省」の一部として扱われています。

中国側も同じく、金門は「福建省・厦門市が管轄する地域」とされています(実効支配はしていませんが)。

つまり 両方の政府が「金門=福建省」と認識している という珍しい状態なのです。

現代の金門島

現在は、戦争の緊張に満ちた島というより、歴史と自然が調和した穏やかな観光地としての印象が強くなっています。かつて軍事施設として使われていた地下トンネルや砲台跡地は保存され、見学スポットとして整備されています。

島の海岸線に残る砲弾の破片や対戦車障害物は、過ぎ去った時代の気配を今に伝えており、観光客にとっては“生きた歴史資料”ともいえる存在です。

対岸にある厦門市とは目と鼻の先にあり、現在では民間交流も増えて、島全体に柔らかな空気が流れています。

とはいえ、わずか数十年前までここが戦争の最前線だったという事実を知ると、金門島が背負ってきた複雑な歴史の重みを感じずにはいられません。

私は2024年8月、台湾の離島の金門島に1泊2日で滞在してきました。サイクリングで島を巡ってきたのでその感想を含めて、金門島がどんな島なのか紹介している記事を書いています。ぜひ読んでみてください!!

まとめ

金門島とは一言でどのような島なのかと問われれば、それは東アジアの歴史と政治がそのまま凝縮された“境界の島”だと言えると思います。文化的には福建の伝統が息づき、行政上は今も「福建省金門県」という名称が残り、そして実効支配は台湾が握っているという、多面的で独特の性格をもつ島です。中国本土のすぐ目の前にありながら台湾に属し続けるという現在の状態は、偶然ではなく、数百年の文化の積み重ねと二十世紀の激動の歴史、さらには冷戦期の国際政治の力が重なり合って形成されたものなのです。

金門島を訪れると、美しい風景や歴史的建造物の裏側に、こうした複雑な背景が静かに息づいていることに気づかされます。地図の上では小さな島にすぎませんが、その歩んできた歴史は決して小さくありません。そしてその歴史こそが、金門島を唯一無二の存在にしていると感じます。

ぜひ訪問してみてください!お試しあれ!!

コメント

タイトルとURLをコピーしました