【旅順】203高地の見どころ・行き方・観光情報を紹介 日露戦争の激震地を訪ねてみよう 若者の観光客はほぼいない

現地で楽しむ 世界観光地


203高地を観光する人

「203高地の観光の見どころや観光の仕方がよくわからないな。あと、観光の注意点や観光のお得情報とかもあると教えて欲しいな。」

今回はこういった疑問にお応えしていきます。

大連市旅順口区にある海抜203mの低い山です。1904 – 1905年の日露戦争ではロシア海軍の基地のあった旅順港を巡り、日露の争奪戦による激戦地となった場所です。

司馬遼太郎の小説「坂上の雲」、映画「二百三高地」でも有名となった日本人に人気の大連・旅順の名所のひとつです。

今回は、203高地の基本情報や見どころ、観光の注意点などを紹介します。

本記事を書いている僕は、過去に30か国以上訪問してきた経験から、旅のコツを経験をもとに得た情報を発信しています。

本記事の内容

  • 基本情報
  • 見どころ
  • 観光情報と注意点
  • まとめ

ではさっそくみていきましょう。

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基本情報 203高地って何?

203高地は、中国北東部の遼東半島南端に位置する旅順にある丘陵です。 1904 – 1905年の日露戦争ではロシア海軍の基地のあった旅順港を巡る日露の争奪戦による激戦地となった場所です。

中国東北部の遼東半島南端に位置する旅順は、19世紀初頭にロシア帝国が遼東半島を租借して以来、旅順港を軍の本拠とする要塞でした。1904年、日本軍は旅順の閉塞を試みて旅順要塞の攻囲戦を開始。旅順港の西北にある標高203mのこの丘を占拠すれば、港のロシア艦隊を攻撃できるとして、激しい攻防が繰り広げられました。

乃木希典将軍率いる日本軍は、丘の下から約13万人もの肉弾戦で突撃を繰り返し、激戦の末に占拠。日露両軍ともに1万7000人近くの戦死者を出しました。

山頂には、乃木将軍が戦後6,400個もの銃弾を拾い集めて鋳造したという、慰霊碑が建っています。乃木将軍の次男もこの戦いで命を落としました。

爾霊山(にれいさん・アーリンサン)」の字は標高203mのこの地を表し、「あなたの魂の山」という意味。中国語で発音しても203(アーリンサン)と同じ発音になります。

周辺には大砲(レプリカ)が置かれた展望テラスがあり、旅順港方面の街並みが見渡せます。まさに大砲の向いている先が旅順港です。山頂周辺をゆっくりまわると約1時間。日露戦争の激戦地をめぐると、戦争の悲惨さがひしひしと伝わってきます。

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見どころ 攻防戦の痕跡を見てみよう

203高地の入り口は公園の入り口

入り口はこんな感じです。入場券がないので、検札もありません。入り口の右側にチケット売り場があります。

園内に入ってすぐのところに観光車の乗り場があります。観光車で上にあがるとこの駐車場が終点です。途中に停留所はありませんね。ここから左の脇から山を登っていきます。

203高地の重砲観測所

旧日本軍が二〇三高地を奪い取った後すぐここに重砲観測所を設け、重砲を指揮しながら旅順口を砲撃し、その結果港にあるロシア軍艦は砲撃されほとんど全部沈没したようです。

重砲観測所の石碑がありました。

中国語、英語、ロシア語、日本語、韓国語で書かれています。

日本式の280ミリ榴弾砲の石碑

日露戦争時に日本が使った大砲です。

大砲の重さは10.753t、砲弾の重さも217kgあるとのことです。大砲を後ろから見た写真です。かなり大きですよね。

この203高地から旅順港の方角に向いて、大砲は設置されています。大砲の前は旅順港です。直線距離で旅順港まで約4㎞ですが、射程が7,800mもあったので旅順港まで届くようです。

ロシア式150mmの大砲

日本のものと比べると、かなり口径が小さく先が長いです。

確かに280mmと150mmでは倍近く変わりますね。

203高地から旅順港を一望しよう

頂上へ上ると、児玉源太郎の有名な言葉、「そこから旅順港は見えるか」という旅順港が見下ろせる場所があります。

大砲の前から見た景色は、旅順港が見渡せますね。ここを拠点に重砲観測所を設ければ、ロシア軍のバルチック艦隊も一網打尽ですね。

203高地から南東の方向に当時の旅順港がありますが、旅順港は天然の良港で冬でも凍らない不凍港なため、ロシアもここを拠点にしていました。

また地理的にも老虎尾の狭い部分を通らないと港の中に入ってこれないという地形になっており、日露戦争時にこの旅順港の争奪戦が日本とロシアの間で繰り広げられました。

白い貝殻のようなもの

頂上までの山肌には白い貝殻のようなものを無数に見ることができます。実はこれは人骨です。二〇三高地は、日露両軍合わせて万に近い将兵の犠牲者が眠る巨大墳墓でもあります。

203高地の頂上にある尔灵山塔

大連人民政府の二0三高地の石碑です。

こちらは遼寧省の石碑です。

旅順口の日露戦争遺跡と書かれています。

そしてこちらが尔灵山塔の石碑です。

乃木希典が戦争で命を落とした兵士たちのために砲弾の残りなどで高さ10.3mの塔を建てて、慰霊をしたと言われています。

二〇三高地を象徴する慰霊塔には、二〇三を中国語発音で漢字を当てた爾靈山(爾霊山)と刻まれています。漢詩が得意だった乃木希典が名付け、犠牲となった将兵たちの慰霊のために戦場周辺の弾丸と砲弾の薬莢を集め、1905年(明治38)に鋳造を始め12年に完成しています。

当初取り付けられていた四神相応やプレートは、戦後、旅順を占領したソ連軍が破壊しています。また、文化大革命の時に、先端部分が破壊されたため復元されています。近づいてよく見ると、ロシア語や中国語の無数の落書きがあることが分かります。

日本語的には爾霊山(にれいさん)で「お前の霊の山」という意味になります。

観光情報と注意点

行き方

203高地は公共交通機関がないため、旅順駅や旅順バス乗り場からタクシーで行くのが一般的です。

地下鉄12号線の旅順駅のタクシー乗り場で「203高地」と言えば、ここまで来れます。

 

注意点

  1. 山を登るので歩きやすい靴で登ることをお勧めします。
  2. 歴史背景を事前に調べてから行くと、理解度が違います。映画「二百三高地」とかドラマ「坂の上の雲」を見たり、司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」を読んでから行くとより観光が楽しくなります。

 

営業時間

8~16時

定休日はありません。

入場料

有料。大人30元。子供は130センチ以下は無料です。

所要時間

爾霊山まで登って降りてくるのに2時間程度あれば大丈夫です。

売店

重砲観測所のそばに飲み物やアイクリームなど簡易的な売店があります。

観光に便利なアイテム

海外旅行での問題はやっぱり言葉ですよね。英語なら何となく理解できても、中国語は難しいです。

あなたが中国語を話せなくても、翻訳できるアイテムがあれば安心。

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観光を計画

旅順の観光地は広範囲に散らばっているので、大連からのツアーを利用するのも良い(ツアーは現地中国人向けと日本人向けがあるので間違わないようにしてください)

まとめ

二〇三高地は日露戦争の激戦地となった旅順の中でも最も有名な観光スポットを紹介してきました。

日露戦争において、特に世界中が戦況を見守った旅順攻囲戦の痕跡。時にこのような戦場跡に足を運び、戦争の辛さ、悲惨を体感してみるのも非常に価値があると思います。

203高地攻略を含む旅順攻囲戦での戦死者は、日本軍約15,400名、ロシア軍約16,000名。

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