九・一八歴史博物館は、満州事変の引き金となった柳条湖事件の現場付近に立つ博物館です。
館内では写真やパネル展示などにより柳条湖事件についての解説や抗日戦争の時代の写真、資料などが多数展示されており、内部はとにかく広いので、全部じっくり見ようとすると丸一日かかることも・・・
今回は九・一八歴史博物館の内部の見どころやアクセスの仕方などお伝えします。
九・一八歴史博物館の基本情報
九・一八歴史博物館の9.18は、9月18日を意味しており満州事変の発端となった「柳条湖事件」の起こった日にちです。
日本では満州事変と呼びますが、中国では「九・一八事変」と呼んでいます。
1931年9月18日、現在の中国東北・遼寧省瀋陽(当時は奉天)の柳条湖で、南満州鉄道の線路が日本の関東軍により爆破され、日本側は爆破したのは中国軍のしわざと偽り、それを口実に中国に対する侵略攻撃を開始したのです。
これが満州事変の始まりとなり、爆破事件のあった場所に「9月18日」の事件の犠牲者を追悼し、市民がその日に経験した国辱を忘れることのないよう建設されました。
日本の中国侵略の歴史的証拠と、敵占領地域の住民の艱難辛苦について学ぶことができる日本人にとって目をそらすことのできない博物館です。
展示物の見どころを紹介
九・一八歴史博物館は無料で入場することができますが、パスポートのチェックがあるので忘れずに持っていきましょう。
中に入ると特徴のある巨大な石の建物が博物館(旧館)が見えてきます。
写真撮影スポットとなっていて多くの人が記念撮影していました。
敷地の隅には“勿忘国恥”と書かれた警世鐘が展示されています。
国の恥を忘れないように毎年9月18日に14回、一斉に鐘を鳴らし歴史を肝に銘じているのです。
柳条湖事件の爆破地点の石碑も展示されています。
奥に見える建物が新館となり、1991年に建てられ、敷地面積3.5万平米、建築面積1.26万㎡、展示用スペース9180㎡と広大な博物館です。
では中に入ります。
前書きを紹介。館内展示は日本語でも一部書かれているのでわかりやすいです。
日本は資本主義の道を歩み始めたと同時に、対外侵略と拡頭の道も歩み始め、日本は中国侵略を長く企んで、甲午中日戦争や日露戦争などの優略戦争を起こし、中国の東北部の権利と利益を奪い取っていきます。
これは1905年3月15日、日本の「満州軍」総司令官が部隊を率いて奉天城(現在の瀋陽)に入った時の様子です。
旅順市街地の入隊の様子。
旅順は203高地がある日露の争奪戦による激戦地となった場所です。1904年、日本軍は旅順の閉塞を試みて旅順要塞の攻囲戦を開始し、旅順港の西北にある標高203mのこの丘を占拠すれば、港のロシア艦隊を攻撃できるとして、激しい攻防が繰り広げられました。訪問記を書いているので読んでみてください!
犠牲者の写真や遺品がたくさん展示されています。
1931年9月18日22時20分、日本の関東軍は通陽北部郊外の物象湖付近の満鉄道の一部を爆破したのです。
その時の事件写真です。
中国軍のしわざとして事実を歪曲し、そしてこれを口実に東北の駐地「北大宮」瀋陽城を攻撃し、満州事変を引き起こし侵略への道を進んでいきます。
九ー八事変後、侵略戦争をさらに拡大するために、日本軍は次々と国内および朝鮮から部隊を派遣し、兵力を増やしています。
九一八事件の後、日本軍は東北大地を踏みにじり、代々ここに住んでいた東北部の住人は、家を捨てて逃亡せざるを得ず、苦しい亡命生活を余儀なくされます。
この展示は亡命憎しみをリアルに再現されています。一部の愛国青年も故郷に別れを告げ、山を渡り、川を渡り、関内に亡命し、抗日宣伝を行い、救亡の真理を求めたのです。
蒋介石が「安内攘外」論の不抵抗政策を主張したため、日本軍は、遼寧省政府行署である錦州、吉林省臨時政府である県、黒竜江省政府であるハルビンやチチハル等を占領し、わずか4ヶ月と18日間で、東北三省が占領されました。
侵略が進む中、国際連盟調査団に日本軍の侵略の犯罪を暴き出すために、聖天民、劉仲明をはじめとした瀋陽の9人の愛国知識人が命の危険をかえりみず、さまざまな方法で日本軍の犯罪証拠を収集。
そして、外国友人の協力を得て国際連盟調査団に提出し、「国際連盟調査団報告書」を通じて、九一八事変を引き起こし、偽満州国をつくったという日本軍に関わる「真実」をようやく明らかにしたのです。
一部東北地方民衆の抵抗が激化していたので、それを鎮圧するために、軍隊、警察、憲兵、スパイ等の統治組職を設立し、民衆を強制的に捕まえたり、監禁したり、残害したり、虐殺したりし、頻繁に虐殺事件を引き起こしたのです。
閲覧注意⚠️
日本軍が勝手に一般農民を逮捕⚠️
悲惨な生活から逃れるために、地元の人々は深い山に移って住むことを余儀なくされ、「野人」のような生活を送っている様子。
黒竜江省のハルビンでは日本軍731部隊が集結し、人体実験を行なっていました。
日本軍は思想教育を進める中、抗日数亡運動が全国各地で急速に広がり、中国共産党の指導と影響の下、東北民衆は救亡団体を設立し、危うい戦場で日本の侵略者と不とう不屈の闘争が繰り広げられます。
日本ファシズムの崩壊する局面の中、毛沢東は「日本に対する最後の一戦、中国国民の全ての抗日勢力は全砲的な反撃を行うべき」という声明をあげ、人民武装勢力は世界反ファシズムとの共同攻撃によって日本の関東軍と偽満州国は急速に崩壊していったのです。
終わりにの看板はこんな形で締めくくられています。
観光についての注意点
行き方
九・一八歴史博物館は、瀋陽市大東区望花南町46号沿いに位置しています。
タクシーで行けば目の前で降ろしてくれますが、公共交通機関でも簡単に行くことができます。
地下鉄10号線の北塔駅から徒歩15分歩くと博物館の建物が見えてきます。
営業時間と定休日
入場料
無料です。注意点としてパスポートが入場の際必要です。
売店
お土産屋さんが館内にいくつかあります。
観光を計画
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まとめ
1931年から1945年にかけて、日本軍が中国人民に対して一方的に引き起こした満州事変は、中国人の死傷者は3,500万人を超えています。
「9月18日」という数字は、その数字が語られるたびに、中国人の心に刻まれた傷のようなもので、一部の中国人には反日心を持った方もおられます。
観光には十分注意して行ってみてください!
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