【広島福山市】ホロコースト記念館 訪問記 アクセスの仕方、料金や展示物など紹介 アンネフランクの形見があるぞ

国内旅行

ホロコースト記念館が広島県の福山市にあることをご存じでしょうか?

広島旅行をする際、多くの方は原爆ドームや平和資料館、宮島などの観光地に行かれると思いますが、福山市のホロコースト記念館は、有名な観光スポットでないため、知らない人も多く、訪れる人が少ない施設ですが、非常に見応えのある展示物が多くあり、平和を学ぶ上で、行く価値はあると思います。

今回は、ホロコースト記念館とはどんな場所なのか、アクセスの仕方、料金や展示物など、訪問した感想を紹介します。

本記事を書いている僕は、海外建築旅というテーマで、過去に30か国以上訪問してきた経験から、旅のコツを経験をもとに得た情報を発信しています。また、お金をあまりかけずにお得に生活するコツなども紹介しています。

本記事の内容

  • ホロコースト記念館とは
  • アクセスの仕方
  • ホロコースト記念館訪問記
  • まとめ

ではさっそく見ていきましょう。

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ホロコースト記念館とは

ホロコーストといわれるユダヤ人虐殺を通じて、差別と偏見のない平和について世界へ伝える博物館です。

ホロコーストという言葉は、ギリシャ語で「火で焼かれた生贄」を意味しており、17世紀末には、大虐殺や皆殺しを意味するようになってきました。ナチスドイツがおこなったユダヤ人の大量虐殺のことです。

1971(昭和46)年に大塚信がアンネ・フランクの父であるオットー・フランクと出会ったことがきっかけで、この記念館が生まれました。

館内には、ホロコーストの歴史、アウシュヴィッツで着用していた囚人服、マイダネク収容所で犠牲になった子どもの靴、アンネ・フランクの隠れ家の部屋や日記を忠実に再現した献資料も備えられており、訪問者に静かに語りかけてきます。

敷地にはアンネ・フランクが隠れ家から見ていたマロニエの若木や、形見として捧げられたバラが植えられているバラ園があり、アンネフランクの平和への思いが静かに感じられる貴重な博物館です。

アンネ・フランク 画像引用

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アクセスの仕方と基本情報

福山駅から福塩線に乗って二つ目の横尾駅という無人駅で降り、のどかな田園風景の中を歩くこと15分、川辺にモダンな建物が見えてくるのがホロコースト記念館です。

 

営業時間

10:30-16:30 (火~土)

休業日

日、月、祝日、8/13~16、12/27~1/5

入場料

無料

ホロコースト記念館訪問記

今回私は2021年の11月にホロコースト記念館に訪れました。

世界一周旅行で訪問する予定のポーランド・クラクフにあるアウシュヴィッツ収容所の訪問を前に、知識を広げておこうと思い、足を運んでみることにしました。

のどかな田園風景の中にポツンと小さな建物が現れ、看板にアンネ・フランクの写真が掲げられています。

外観はガラス張りで現代風の博物館です。

そもそも欧州から遠く離れた日本の地方に、なぜホロコースト記念館があるのか、疑問に思われるかもしれません。

1971年に地元の教会の牧師、大塚信さんが、この年の4月に合唱団とともにイスラエルを訪問中、偶然アンネ・フランクの父オットー・フランクさん(1889~1980)と出会い、その後10年近くに渡っても交流が続き、「アンネをはじめ150万の子どもたちにただ同情するだけではなく、平和をつくるために何かをする人になってください」というオットーさんの願いに応えて、1995年に日本で最初のホロコースト教育センターを開館したことがこの記念館の始まりです。

展示物は二階から見る順路になっていますが、1階のホール・ギャラリーで館内案内を聞くことで展示物をどのような視点で見たらいいのか教えてくれます。先に見ておくと良いです。ビデオを見終わると二階から展示物を見て回ります。

メイン展示

ホロコースト記念館が建てられたきっかけやホロコーストの歴史について展示されていて、当時の遺品もかなりあり、ホロコーストの悲惨さを知ることができます。

最初の展示物はユダヤ人差別の始まりがわかりやすく説明されています。

そもそもナチスは、「ユダヤ人がすべての問題の原因である」という考えをもっていて、ユダヤ人は、ただユダヤ人であるという理由だけで、生きている価値がなく、世界を征服しようとしている、怪物のようなものだと考える恐ろしい政党。ナチスにとってユダヤ人こそ真の敵であり、ユダヤ人を迫害することは、ドイツ人が生き残るための戦いと考えユダヤ人差別が始まったそうです。

ナチスの突撃隊は、ユダヤ人の店に看板やスローガンを記し、人々がそこで買い物をすることを禁止し、従わない者は罰をけたようです。

これは、すべてのユダヤ人は黄色い星のバッジをつけなければならないという命令が出された時のバッジです。

ポーランド、オランダ、ハンガリー、ギリシャ、さらに北アフリカなど、ナチス占領下のユダヤ人の目印になったようです。

これは、ゲットーと呼ばれるユダヤ人居住地域です。

各地につくり、すべてのユダヤ人をそこに住まわせる決定を下されたようです。

とくに最大のゲットー、ポーランドのワルシャワでは、1.5キロメートル四方の地域に50万人ものユダヤ人が押し込められ、苦しい生活をさせられたみたいです。

人々は貨物列車、家畜運搬車に乗せられ、収容所に送還されていきました。その時の列車の模型と展示写真です。

一両に百人以上も押し込まれ、座る場所もなく、呼吸をするのも困難で、「死の収容所」への長い旅の始まりです。

ギリシャ、フランス、オランダなどからの移動は、最もひどい状態で数日に及び、夏の暑さの中でも水は与えられず、凍てつく冬に暖房もなく、列車が収容所に着くまでに多くの人々が死んでいったみたいです。

収容所に着くと、人々は長い列に並ばされ、「選別」が行われ、病人、子供、老人などが一方の列に、若くて働けるものは、もう一方の列に並ばされ、即座に殺される人々と、強制労働のためにしばらく生かしておかれる人々を選び分けるのです。

これはシャワー室に見せかけたいわゆるガス室で、多くのユダヤ人がこの空間で亡くなりました。人々は「シャワーを浴びるのだ」と命令され、服を脱がされ、髪の毛をそられ、裸にされて、シャワー室に入りました。ドアが閉じられると、湯ではなく、毒ガス、チクロンBがそそぎ込まれ、10数分で全員が死んだようです。

ガス室に撒かれた有毒ガス、チクロンガス缶のラベルも展示されています。

このガス缶1缶で、400人の人々が20分以内に死亡するほどの殺傷力です。

死体が、ガス室から運び出されると、貴重品は金歯まで集められ、死体は焼却炉で焼かれました。アウシュヴィッツでは一日に、1万2千から1万5千の死体が、「処理」され、焼かれたのです。

この写真は子供です。死んだ人はこうやってダンプカーで山積みにされていきます。ゴミのようにユダヤ人は扱っているのがわかります。

選別されて生き残った人々は、強制労働収容所に移されました。そこは高圧電流の流れる鉄条網で囲まれ、逃げることはできないです。収容所では地獄のような生活。囚人は髪の毛をそられ、縞模様の囚人服を着せられ、腕に番号が入れられるのです。

これがアウシュヴィッツ収容所で実際に着らせれていた囚人服です。

収容所での生活は、無理やりに働かせる強制労働と、飢え、そして絶え間ない恐怖の日々であり、ひどい環境に耐えきれず、ほとんどの人が数カ月のうちに死んでいく者や、病気で倒れた人々は容赦なくガス室へ送られるのです。

さらにナチスの医者たちは、囚人たちを使って様々な、人体実験を行い、そのために障害者になったり、 死んだ人々も多くいたが、何も思わずどんどん実験を繰り返し行ったようです。

この靴は、ガス室でなくなった子供の靴です。こんな小さな子供までもがなくなったのを考えると言葉が出てこないです。

これはアウシュビッツ収容所で使われていた食器類です。十分な食事が出されていなかったことがわかる質素な食器です。飢えの苦しみが伝わってきます。

アンネ・フランクの展示

アンネフランクの隠れ家やアンネの日記のレプリカ、アンネの死亡証明書などアンネフランクの生い立ちなど展示されています。

オランダ・アムステルダムにあるアンネが隠れていた部屋が細部まで忠実に再現されています。ちなみに本場は以下の地図にのところにあります。

 

アンネはアウシュビッツ収容所で、15歳という幼い年齢で亡くなっています。

屋外には、アンネの形見のバラやアンネが隠れ家から見ていたマロニエの木の二世が植えられています。

記念館の裏手にはアンネの銅像も設置されています。

アンネの形見のバラを見ると平和の願いが心に伝わってくる気がします。

ユダヤ人を助けた人々の展示

この恐ろしい時代に、スウェーデンの外交官、ワレンバーグや、日本の外交官、杉原千畝、ドイツのシンドラーや、もし見つかれば自分も殺されることを承知で、ユダヤ人が逃げるのを助けたり、かくまったりした人々もいました。彼らは「諸国民の中の正義の人」と言われ、ホロコーストの時代には1万3千人のこれら勇気ある人々がいたことが知られています。

30万人のユダヤ人が収容所から生き残り、解放されて出身地に戻った人々はわずかだったようです。彼らは自由を求めて、様々な国々へと移り住んでいき、また自分たちの先祖の国、イスラエルへと移住した人たちも多くいたようですね。

この展示は600万個のビーズ

ナチス政権下でただユダヤ人というだけで、600万人の命が奪われ、その数のビーズを亡くなった人の多さを表した模型です。悲しい出来事です。

まとめ

アンネの父、オットーフランク氏の言葉が響いてきます。

「平和は相互理解から生まれます。アンネたちの悲劇的な死に同情するだけではなく、平和を作り出すために、何かをする人になって下さい。」と。

平和を自分の手で作ることが大切です。ぜひ皆さんも、広島旅行する際は、このホロコースト記念館に訪れてみて平和を考えてみてはいかがでしょうか。

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