【京都舞鶴】引揚記念館訪問記 シベリア抑留の悲惨が学べるぞ 展示品はユネスコ世界文化遺産に登録

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京都舞鶴に引揚記念館があることを皆さんご存じでしょうか?

引揚記念館は、引き揚げの町として役割を果たしてきた舞鶴は、その史実と戦争の悲惨さを後世へと語り継ぐ「平和のシンボル」として建設されたのです。

引揚記念館には、引き揚げの歴史や抑留生活など、当時を伝える貴重な資料の数々を展示されていて、その展示品は極めて希少性が高く、世界的にも重要性を持つことから広く世界の人々に共有すべき資料としてユネスコ世界文化遺産に登録されています。

ホロコーストなどと同じく、人間愛、家族愛、平和への願い、絶望的な状態に置かれた人間の生きる生命力など、人類に共通する人間的で普遍的な主題と平和が学べる、是非訪れてほしいスポットです。

今回は、引揚記念館がどんな場所なのか、アクセスの仕方、料金や展示物など、訪問した感想を紹介します。

本記事を書いている僕は、海外建築旅というテーマで、過去に30か国以上訪問してきた経験から、旅のコツを経験をもとに得た情報を発信しています。また、お金をあまりかけずにお得に生活するコツなども紹介しています。

本記事の内容

  • シベリア抑留と引揚って何?
  • アクセスの仕方
  • 引揚記念館訪問記
  • 舞鶴の観光スポット
  • まとめ

ではさっそく見ていきましょう。

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シベリア抑留と引揚って何?

シベリア抑留とは、第二次世界大戦終戦後、武装解除した日本兵が主にシベリアやモンゴルなどに作られた収容所に移送され、強制的に過酷な労働をさせられたことです。

中国東北部をはじめ、樺太や千島列島にもおよび、これらの地域では日本兵がすでに武装解除しているにもかかわらず、軍人・民間人問わず多くの日本人が捕らえられ、ソ連の収容所に送られたのです。

敵国だった日本人やドイツ人を数百万人規模で捕縛し、極寒の劣悪な環境のなかで鉄道建設や土木作業、炭坑や鉱山での作業、農作業などさまざまな労働に強制的に従事させられたのです。

抑留者の引きあげがはじまったのは、終戦から1年以上が経過した1946年の12月からで、最終的にはソ連との国交が回復する1956年までかかり、50万人以上いるうち、帰還したのは47万人ほどだといわれています。

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アクセスの仕方

引揚記念館があるのは、舞鶴港の北側です。公共交通機関でもアクセスは可能ですが、引き揚げ記念館までのバスが本数が少ないのであまりおすすめはできません。時間を逃すと次のバスが来ないこともあります。

ちなみに料金は東舞鶴駅 ⇄ 記念館 400円です。

車の場合

舞鶴若狭自動車道 舞鶴東I.C より約15分

車は引揚記念館から引揚桟橋に行くにも便利で、徒歩15分かかる道も楽々アクセスできます。

 

引揚記念館訪問記

引揚記念館にはシベリアの地での抑留生活を知る資料から、引揚に関する船の模型、抑留者の体験メッセージなど常設展示で、1000点を超える展示がされていました。

入館料は大人400円、子供大学生まで150円と安くで入館できます。

エントランスホールでは、日本人の収容所の分布地図が大きく展示されています。

ガイダンス映像も流れているのでここで背景が学べます。

常設展の入り口は時代を象徴する写真の中をくぐります。

終戦時に中国大陸に残された日本人およそ60万人がソ連に送られ、その内の47万人がシベリアの各地に移送され、長い年月抑留生活を強いられた資料がたくさん展示されています。

抑留生活の模型もあり、言葉が出てこないぐらいの飢えと寒さに耐えなければ行けなった事がよくわかります。

1日の食事の量の模型も展示されています。凍った一切れほどのパンと具のない水みたいなスープ。これだけではあまりにも少なすぎです。

日に日に痩せ細り、栄養失調に陥り、こうした日常的な飢えと寒さにより、1年目の冬を越せずに亡くなる抑留者も多くいたようです。

体験者の回想記録画などをもとに再現された収容所の模型もあります。

薄暗い小屋には、硬い木のベッドや極寒に耐えた衣服もみる事ができます。極寒の寒さに耐えれず凍死してしまう人も多かったのです。

帰還と再開

舞鶴港での引揚の様子や、船の模型など展示されたいます。

引揚船の多くはこの舞鶴に戻ってきたとされています。

引揚船が来るたび、いまだ帰らぬ我が子・夫を待つ婦人の姿が「岸壁の母」と呼ばれ、歌碑にもなっています。シベリアに抑留された兵士が故郷への想いを歌った「異国の丘」の歌碑も有名です。歌碑は資料館の横に建てられています。

平和への祈り

徐々に風化しつつある引揚の歴史を後世に継承し、引揚経験者の体験談のムービーなどの展示もありました。

さらに平和への尊さを広く発信するために舞鶴市行ってきた平和への取り組みなど紹介されています。舞鶴市では、ロシアのナホトカ市中国の大連イギリスのポーツマス市などの間で姉妹友好都市を結び、平和を守っています。

引揚桟橋

舞鶴港には346隻にも及ぶ引揚船が入港し、約66万人の引揚者を受け入れてます。引揚船に小型船が横づけされ、引揚者はこれに乗り換えて桟橋に上陸していたようです。

その桟橋の復元が記念館の近くにあり、徒歩15分ぐらいで行く事ができます。

舞鶴港から見える景色です。右の今工場となっているところが、厚生省により設置された引揚者の帰国処理をおこなうための引揚擁護局があったようです。

桟橋の横には慰霊の石碑が建てられていて、ここで引揚者の苦労を労わります。

舞鶴の観光スポット

舞鶴市は、海、山、川など豊かな自然に恵まれ、四季折々の風情が感じられる美しいまちです。西地区には安土桃山時代に築かれた田辺城跡や城下町の古い町並みが残り、東地区には旧海軍ゆかりの赤れんが倉庫群などの近代化遺産など、多くの歴史的資源があります。

  • 田辺城跡
  • 赤れんがパーク
  • 港めぐり遊覧船

心地よい潮風を感じながら 護衛艦や造船所など海軍にゆかりのあるスポットを海からめぐる満喫コースや45分の引揚ゆかりコースもありおすすめです。

まとめ

舞鶴にある引揚記念館について紹介してきましたが、今回紹介した展示物はほんの一部です。「舞鶴への生還1945-1956 シベリア抑留等日本人の本国への引き揚げの記録」で登録された資料は合計で570点もあり、現地に行ってひとつづづ目に触れてみる方がわかりやすいです。より詳しく調べてみたい人はこちら(ホームページに移動します。)

また、全国各地の平和祈念展示資料館では、さきの大戦における、兵士、戦後強制抑留者(シベリア抑留者)、海外からの引揚者の方々の労苦をより多くの人たちに伝えるための事業のひとつとして、下記のような展示会が随時開催されています。

シベリア抑留・引き揚げは10代20代はおろか40代50代の世代も知らないという人が多くなってきているようです。

抑留の悲惨さを知るだけでなく、抑留者の体験記から平和の想いを感じることができるので、平和ボケが進んでいる現在に是非、平和を学びに行かれてみてはいかがでしょうか。

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